
1881(明治14)年、鉄竜海上人は62歳で入定した。
即身仏になることを志す者にとって問題になったのは、1880(明治13)年に旧刑法が制定され、
自殺ほう助、墳墓発掘などが禁じられたことだった。
「即身仏になることは一種の自殺行為とみなされるようになりましたが、人の手を借りての修行のため、
自殺ほう助罪に問われるようになってしまったのです。また、石室の開封すらも違法になりました」
旧刑法が施行されて以降、法に抵触するとして即身仏を目指す人が絶えていくなかで、
鉄竜海上人は、入定を断行。湯殿山で修業した行者として最後の即身仏となった。
1000日後の発掘も信者によって隠密裏に行われ、そのあと数十年間にわたり、
鉄竜海上人の没年は明治元年とされてきた。
真実が明かされたのは昭和も半ばになってからだった。
出典:
道の細道

山形県鶴岡市、南岳寺に安置されている「鉄竜海上人」の即身成仏。
まず真言宗はどなたがお開きになったかと申しますと、それは空海上人すなわち弘法大師様であります。
お大師様の示された真言宗のおしえとは、一言で申しますと、私達人間はそのままにして佛になれる、
佛の世界は別にあるのではなく、ここに佛の世界があるのだと、すなわち、真実の自分の心を知り正しい修行をすることによって
自己の完成(即身成佛)をすると同時に他のすべての人達が幸福になる様な理想の社会(密厳浄土)を実現しようというのが、
お大師様が示された真言宗のおしえであり即身成佛ということであります。
出典:南岳寺パンフレット
当時蔓延した疫病で目を失った民を救おうと自らの右目を取り出して、
幸せを願ったという。
即身成佛となった鉄竜海上人を目の当たりにしてまたもやタオルを絞った。

明治時代になんと最高裁判所で超能力を認められた「長南年恵」の霊堂もある
B級バカンス度は控えさせて頂きます。
- 2019/09/23(月) 09:12:20|
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